小学生の頃、枠をはみ出すくらいの大きな字で書いていた。
ノートも、テストでも。
その頃の私には「枠内に書く」という発想がなかった。
両親にも学校の先生にも指摘されたことがなかった。
ところがある日、通信教育の訪問販売のお姉さんが家に突然やってきた。
画一的で協調性が美徳
学ぶことが大好きだった私は、訪問販売のお姉さんの話を熱心に聞いた記憶がある。
いまだに覚えている。
私の字を見て、そのお姉さんは言った。
「良い成績を取りたかったら、枠内に収めて書きましょう。」
今まで当たり前だったことが、「駄目なこと」として教えられ、その日以来、枠内に収まるように答えを書くようになった。
すっきりまとまるようになり、字も少し上手く見えるようになった。みんなと同じになった。飛び出していた文字は、平らになり、並べても違いがなくなった。
正しいことだと思う。
ルール通りに書くことも大事なこと。
でもこの時、同時に大切な何かを失ってしまった気がする。
「はみ出すことはダメなこと」だとインプットされた気がしてならない。

「個」から「多様性」へ
枠をはみ出さないように、みんなと同じようにできることを良しとしてきた時代を生きてきた。
そんな私たちは今、個性を求められ、他人とは違う何ができるのかを問われる時代に突入している。
時代が変化したのだ。
そして、気付かないうちに、私たちの価値観も一緒に変化している。
当たり前だった行動は、環境や時代が変化すれば、非難されることもある。
私の時代は、給食は全部食べきるまで終わりはなかったし、廊下で立たされることや、愛のムチや叱責だって、日常に存在していた。
それは同じ時間を共有した仲間とは、笑い話になるけれど、今の時代では、ただの体罰だと言われてしまうだろう。
当たり前だったことが、いつか当たり前ではなくなる日がくる。
今見ているもの、信じているものが覆るかもしれない。

時代が変化しても普遍的なもの
夏目漱石や太宰治の小説が今も尚、愛されるように、何十年前、何百年前の偉人の書き残した言葉が心に響くように、時代が変わっても変わらないものがある。
それが「人の心」だと思う。
価値観が変わっても、大切なものの優先順位が変わったとしても、美しいものや壮大なものに感動し、悪を憎しみ、悲しいときは涙する。そして、人とのふれあいで笑顔になる。
時代の変化に適応しながらも、人の心に寄り添える人であり続けたい。