あの頃の当たり前は今、非常識。それが時代が変わるということなのかもしれない。

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はまあやです( ˘ω˘ )

 

小学生の頃、枠をはみ出すくらいの大きな字で書いていた。
ノートも、テストでも。

私には枠内に書くという発想がなかった。
それは、両親にも友達にも、指摘されたことがなかった。

 

画一的で協調性が美徳

ある日、通信教育の訪問販売のお姉さんが家に突然やってきた。

勉強が好きで素直だった私は、彼女の話を熱心に聞いて、やりたいと答えた記憶がある。料金もシステムもよく分かっていなかったけれど。

(子どもが親にやりたい!と言えば、断る親は少ないと思う。ずるいやり方だなと今になって思う…。)

 

私の字を見て、お姉さんが言った。

「良い成績を取りたかったら、枠内に収めて書きましょう。」

 

今まで当たり前だったことが、駄目なこととして教えられ、その日以来、枠内に収まるように答えを書くようになった。

すっきりまとまるようになり、字も少し上手く見えるようになった。みんなと同じようになった。飛び出していた文字は、平らになり、並べても違いがなくなった。

 

でもこの時、同時に大切な何かを失ってしまった気がする。

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「個」から「多様性」へ

枠をはみ出さないように、みんなと同じようにできることが良しとされてきた。そんな私たちは今、個性を求められ、他人とは違う何ができるかを問われている。

あの時、「個性」を失ってしまったのだと思っていた。

 

しかし、そう私たちが感じるのは、時代が変化したからなのだ。
少しずつ、気付かないうちに、私たちの価値観も一緒に変化している。

 

いつも、その時、精一杯の選択をしている。

当たり前だった行動は、環境や時代が変化すれば、非難されることだってある。

 

給食は全部食べきるまで終わりはなかったし、廊下で立たされることや、愛のムチや叱責だって、日常に存在していた。

それは同じ時間を共有した仲間とは、笑い話になるけれど、今の時代では、ただの体罰だと言われてしまうだろう。

 

当たり前だったことが、いつか当たり前ではなくなる日がくる。

 

今見ているもの、信じているものが覆るかもしれない。

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時代が変化しても普遍的なもの

夏目漱石や太宰治の小説が今も尚、愛されるように、何十年前、何百年前の偉人の書き残した言葉が心に響くように、時代が変わっても変わらないものがある。

 

それが「人の心」だと思う。

 

価値観が変わっても、大切なものの優先順位が変わったとしても、美しいものや壮大なものに感動し、悪を憎しみ、悲しいときは涙する。そして、人とのふれあいで笑顔になる。

 

時代の変化に適応しながらも、人の心に寄り添える人であり続けたい。

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