はまあやです
人って本当に変われるんだな~って最近よく感じる。
「人見知りです」って自己紹介してた私は何処へ(笑)
それは経験と自信がついたからできたこと。
歳を重ねるごとに、ナチュラルな自分でいられるようになっている。
虚勢を張っても無意味だって気付いたから。
よく見せようと思っても、相手にうまく伝わらず、自分が消耗するだけ。
どんな場面でもナチュラルでいられると、どこでも楽しい時間になる。
心がどんよりし、時間が経つのが遅く感じるときは、相手に気を使いすぎたり、自分の感情を抑えてしまっているとき。
否定する人とは合わせなくていい。
自分を否定しなくていい。
よく思われようとしなくていい。
そう決めて実行し始めたときから、人から好かれることが増えた。私という存在を覚えてもらえるようになった。
人の顔色を窺って、
空気を読んで、
言いたいことを我慢して、
言葉を選んで、
相手が喜ぶことを言って、
褒めて、
よく見てるね。
大人な女性だね。
落ち着いているね。
しっかりしてるね。
と評価してもらっていた。
でもそれは本音じゃない。
社交辞令や建前。
それで血の通った交流ができるだろうか。
自分のアイデンティティを知ってもらえる?
いつ、本音が出せるときがくる?
初対面で〇〇な人とレッテルを貼られた以上、ずっと、〇〇な人を演じなくてはならなくなる。人の思い込みやイメージを変えるには時間がかかる。
18歳で大阪に出てきてから、本音を言えない自分になっていた。人が離れていくことが怖くて、嫌われない努力をしていた。
優等生の自分を演じることに最初は息苦しく感じ、でも恐怖から殻を破ることができず、だんだんとそれが当たり前になって、それが自分だと思い込むようになっていた。
落ち着いていてしっかりした大人な女性。
本当によく言われてた。
”全然しっかりしてないのにな~”
って心では疑問を抱いていても、そういう自分を演じていたのだから仕方ない。
そんな付き合い方では、一緒にいても疲れるだけで、深い付き合いにはならない。結果、20代にできた友達って数少ない・・・。
今の私を知っている友人はきっと笑うと思う。
…今もそういう部分も持ち合わせていると信じたい・・
ずっと悩みだった”人見知り”なんて、気付いたらどこかへ飛んでなくなってて、1人でいろんな輪の中へ飛び込めるようになれた。
”ふわふわした感じとしっかりしたところがあって、少女と女性が同居してる不思議な魅力がある”
最近会ったばかりの女性の方に言っていただき、心の底から嬉しかった。
今、自分が思う自分でちゃんといられているんだと。
今の問題は・・・
あまりにも開放的すぎて、
多くの人と交流し過ぎて、
すこーんと記憶がなくなってることが多い。
指摘されても思い出せない。
間違える。
最低だ。
私は覚えてなくても、
相手がちゃんと覚えてくれているってなんて幸せ者だ(笑)
ありがたい。